萌えアニメの嚆矢:日常系に至る4つのライン(改訂)
少年マンガにおける手塚治虫、石森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄とその〈ときわ荘〉勢の影響化にある永井豪、吾妻ひでお……彼らにはあらゆる要素が内包されていたと思うんだ。シリアス、ギャグ、エロ、ホラー、SF……。
彼らマンガのフロンティアたちが持っていた要素が、分裂/融合/増幅/希釈……サンプリングされカットアップされリミックスされて、現在の萌え的日常的空気的4コママンガ/アニメが存在する……のではないかな、という考察なんだけど。
それでね、今の萌えアニメには4つのラインがあることに気づいたの。
70年代後半に少年マンガに少女マンガ的要素が浸透していったというのが、まず前提としてあって。
少女マンガ的要素って言うのは、キャラクター造形(目が大きく、過剰に可愛くて、ファッショナブルな女の子)と物語構造(少女マンガから生まれたラブコメというジャンル)のことだね。
永井豪『あばしり一家』『ハレンチ学園』や吾妻ひでお『ふたりと5人』『やけくそ天使』のエロとコメディ(ギャグ)の要素に少女マンガ的要素が融合し(ここでは永井と吾妻の持っていたSF的要素は希釈される)『翔んだカップル』『きまぐれオレンジ☆ロード』『ストップ!!ひばりくん』『電影少女』といった作品が生まれる。
そして、それらの作品のアニメ化を経由して、京都アニメーションの『ハルヒ』『らき☆すた』、Key/ビジュアルアーツのアニメ『Clannad』『Angel Beats』、さらには日常系百合とでもいうべき『ゆるゆり』『Aチャンネル』に接続していく……というのが、1つのラインとしてあると思うのね。
強い少女の誕生=美少女とSFメカとの融合
SF性とパロディ性の増幅と融合……というのがもう1つのライン。
手塚治虫、石森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄の〈ときわ荘〉勢とその後継の永井豪、吾妻ひでおの持つSF性とパロディ性を増幅し、そこに少女マンガ的要素が融合することによって『マカロニほうれん荘』『うる星やつら』が誕生する。
うる星やつらのアニメ化とマクロスの大ヒットにより、「メカ+美少女」という傾向が、以降のSFマンガ/アニメの主流となっていく。
強い少女=戦闘美少女の誕生だ。
「メカ+美少女」路線は『トップをねらえ!』『エヴァンゲリオン』『エウレカセブン』『攻殻機動隊』(攻殻はちょっと違うか?)といった「メカに乗り込み操作する」作品を生み、『ストライクウィッチーズ』『IS:インフィニット・ストラトス』などの「美少女とメカが不可分となったデザイン」を有する作品にシフトする……戦闘美少女と呼ぶにふさわしいフォルムを獲得していく訳だね。
ニューウェーブ=カテゴライズが不可能なマンガ群の台頭
70年代後半に出現したジャンル分け不可能な新しいマンガ=当時、ニューウェーブと呼ばれた作家たちの作品……大友克洋、ひさうちみちお、宮西計三、高野文子、さべあのま、奥平イラ、岡崎京子……少女マンガでも少年マンガでも劇画でもエロでもない、カテゴライズ不能のマンガ群……。
これらのマンガは、SF専門誌「奇想天外」を母体とする「マンガ奇想天外」や、SFとマンガとサブカルチャーをフィールドとする亀和田武が編集長をした「劇画アリス」といったすこぶるマイナーな雑誌に掲載されていたのね。
ニューウェーブと言われる所以は、今までの漫画表現とは異なる描線/構図とストーリー展開にあるんだ。
大友克洋の天才的なデッサン力とアメリカン・ニューシネマを思わせる乾いた描線とストーリー。ひさうちみちおのロットリングを駆使した緻密で均一な描線と円城塔を思わせるロジカルなストーリー展開。宮西計三の艶かしい描線とシュールレアリスティックな構図。奥平イラの平面的でポスターデザインのようなタッチ……
マンガのニューウェーブ的表現は、押井守、今敏、新房昭之、幾原邦彦、神山健治らの諸作品に確実に影響を与えているね。
従来、劇画調で成熟した女性のみを扱って来た官能劇画雑誌に、突然登場した未成熟な少女たちの裸体……「ロリコン」とジャンル分けされる作品をレモンピープル、漫画ブリッコなどの雑誌に掲載していたのが、吾妻ひでおや内山亜紀といった作家たちだったんだね。
彼らが表現した少女たち(少女マンガ的アニメ的なタッチでデフォルメされた少女もしくは幼女)の痴態はユーザーに衝撃を与え、ロリコン・ブームを巻き起こす。特に内山亜紀の出現はエポックメイキングな出来事で、その絵柄の可愛らしさ、描線の緻密さが人気を博して、数々のエピゴーネンを生むことになるのね。
(個人的な話だけどね。初めて内山亜紀の作品をエロマンガ誌で「発見」したときは、本当にビックリしたよ。当時は萌えって言葉はなかったけど、エロマンガにアニメ絵がきた!アニメ絵でエロを表現する奴が現れた!ってね。衝撃的な出来事だったんだ)
このブーム以後、デフォルメされた少女のフォルムは、少女性愛というポルノグラフィカルな要素を限りなく希釈させて、あらゆるメディアに拡散していくのね。吾妻ひでおと内山亜紀の絵柄が「デフォルト」になっていくんだ。
同じ「ロリコン」とカテゴライズされていても、吾妻ひでおと内山亜紀では、その表現はまったく異なっていて。例えば……吾妻ひでおが対象としているのは高校生(もしくは中学生)で、内山亜紀は小学生以下。描線も、吾妻は手塚治虫的な太くて柔らかい線だし、内山は少女マンガ的アニメ絵的な(マクロスの美樹本晴彦のような?)細くてやや硬質な線だったりするのね。そういった違いはあるけれども、彼らの「あくまでも可愛い女の子の絵」と作品と方法論は、後の作家(後の世にと言っていいだろうね)に、ロリコンというジャンルにおさまらない影響を与えていったんだね。
現在のマンガ/アニメに表現されている「少女」の姿が、海外では児童ポルノまがいの猥褻な表現として捉えられているのもむべなるかな……。
4つのラインに共通する作家:萌えアニメの嚆矢
萌えアニメに至る4つのライン。
もう一度整理すると……
1.ラブコメ
2.戦闘美少女
3.ニューウェーブ
4.ロリコン
その中心にいたもの。その4つのラインの潮流全てに接続する作家。そんな作家が存在するんだよ。
『ふたりと5人』『やさぐれ天使』『ななこSOS』『オリンポスのポロン』『不条理日記』『メチル・メタフィジーク』『陽射し』『海から来た機械』……
それが吾妻ひでお。
けいおん、らき☆すた、Air、CLANNAD、Angel Beat、Aチャンネル、ゆるゆり……など、その源流には吾妻ひでおが位置する。すなわち、現在の萌えアニメの潮流の原初たる存在、嚆矢となるべく存在は、吾妻ひでおだ、ということなんだよ。
吾妻ひでおが唾棄すべき対象として忌み嫌っている「日常系」の元祖。それが他ならぬ吾妻ひでお自身だった、というのは何と言う皮肉だろうね……。